■人と人とが素で向き合うってことはできるのか?
その人の役割だったり立場だったり、ロールがそれを邪魔をする場面ってどうしても、ある。
ああ、今の会話は、ロールがつくっているな、という雰囲気を感じたり。
ロール、という意識があればまだいいけど、それを忘れて、傷付いたり傷つけられたり、もあるなあ。
ロールというものがある限りは、それもある面「環境」なのだから、それがその場の向き合い方にも影響を及ぼすことも仕方がない。
ロールを外せる、外す場面をつくる、そのあたりを自由に行ったり来たりできるような感覚を自分自身はもっていたいな、と思うんですが。
なかなか、思うようにいかないときもあります。それもまた仕方がないこと。
そんな時は、「自分らしくいられないなあ」なんて思ってしまったりするけれど、ロールそのものを被った自分もまた「自分」だから、それも含めての「自分らしさ」のを考えなくてはいけないかなあ、とも思う。
そのロールを作っているのも被っているのも外しているのも、全部「自分」なんだから、それも含めての「自分らしさ」なのかな。
ロールという枠の中だけにいないで、そこから出たり入ったり、そこを自由にできたらいいんだな、と考えてみたり。
枠から出る、っていうのは、ある面リスクを背負うことにもなるけど、まあ、そうしないと前には進めないから、やっぱりそうするしかないか。
素で向き合うってそういうことかなー。「素」なんて、ないんだな。
諦めずに、乗りこえていくこと以外にないか。
ほとんど、独り言にしかなっていない。