■「習う」と「表現する」は違う
地域の伝統芸能、神楽の稽古のあと。
これまでずっと子どもたちに指導してくださっているお二人の師範さんを教室にお迎えした。
「雄勝の神楽とまつり」というテーマで、私がインタビューをし、子どもたちはオーディエンス、みたいなかたちで。
神楽の稽古の中だけでは、気が付けない、お二人の考えとか思いとに子どもたちが何度も触れることがきっと大事なこと、と思うから。
道徳。
私がインタビューする形式にしたのは、私がお聞きしたいことがたくさんあったから。
極端なことを言えば、子どもたちは、今回の話の半分しか分からなくてもいい、とも思っていた。
(それはどういうこと?)
(なんだかよくわからないけど…)
でいい。
それがあとから、
(ああ、あの時こう言っていたのは、もしかしたら…)
って少しでもなればいいと思うから。
分からなくていいかな、今聞いておいて、そういう気持ち。
私がインタビューしながらホワイトボードに書いていく、そんなやりかた。
大人どうしのトーク。
最後に、子どもたちにも一言ずつしゃべる時間をつくって回してみた。
ある子が
「練習はどのくらいするんですか?」
と尋ねた。
師範さんは
「これで終わり、ってないんだな。死ぬまで練習だな。いつまでたっても一人前ってないんだ。わしらだって毎日進化する。」
「覚える、と、表現する、は別世界。練習していくと、自分を表現する世界に入っていく。それには切りが無いんだなあ。自分の表現をして、人に『おお、あいつの舞はうまいなあ!』って言わせられたらいいよね。」
「覚える」と「表現する」は別世界。
「覚える」と「自分を表現する」。
ああ、この時間を設定してよかった。
神楽と毎日の「学び」「生活」がここでもつながった。