■給食は毎日ある小さな「催し」なんじゃないの?
感情の共有。
どうかすると、そういうのも「言語」を介して、理解しようとしてしまうけどそもそも、そこからして考え直したほうがいいいのかもな…、と考えています。
というのも、ゴリラ研究の山極寿一さんの本の記述の中で
「人間の身体の信頼性というのは、触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚の順で薄れていく。」
というところがあって、それが、今までの自分の考えていたり感じてたりする部分と重なっているから。
(おお…)
と思ったんです。
うまく言えないけど。
そういえば、うちのクラスで、1日のうちで一番いい感じで華やぐのは給食の時間。
一緒に食事をしながら、
「これ、おいしい!」
とか
「うー、これ嫌いなんだよな~」
とか言いながら、なんだかんだと交流するの、それが一番の感情の共有になってる気がする。
給食は、毎日ある、最もふつうの「催し」なんじゃなかろうか…。きっとそうだ…。