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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「共有」ってなんだろう、なんだろう

■「共有」ってなんだろう、なんだろう

石巻のプレーパークと子どもの遊びを考える会」座談会に参加しました。

今年のマイテーマは「あそび」「プレーワーカー」なので、大切にしたい話題。

 参加したかたの、いろんな話を聴きながら私が感じたのは
(あぁ、大人の問題だなぁ)
ということ。

                 

                    

 もう、エンデの「モモ」の世界そのまま。

「遊びは大切だ」「子どもの居場所がない、限られている」「遊び場がない」「そもそも子どもに時間が無い、大人にも時間が無い。」「なんとかしたい。」「何かするにはお金がかかる、予算が付かない」…

 たしかに。

                  

                        


「あそびは大切」「居場所は必要」

 (そこにいる)みんなが程度の差こそあれ、そう感じているんだけど、なかなか事態はうまくいかない!?
そう。そう言われればそう。
異論はないけど、実際これをテーマにしているってことは、石巻ではその価値が認識されてない、が前提にあるってことなんだよね。

  そもそも、「あそび」ってなんだ?
「居場所」って?
 どんなイメージなんだろう。そこのすりあわせには時間が掛かりそうだけど、そもそもそこをしている時間もない。ああ悩ましい。

  誰が何に、どんなふうに困っているのか、そのあたりから始めないと結局、お金の話になってしまう…。
 それが、数値的に、成果が分かりやすいから、かな?どうだろう。

                     

うーむ。

       

 私も課題意識は同じなんです。

 最も、私は学校の教員で、多くの方々の税金で収入が保障されているからこそ、できることってきっとある、と思っています。だからこそ、
(さて、どうしたらいい?)
って考えてしまいます。

 課題意識の共有は大切。

 でも、だれと何を、どこまで共有できたらいいんだろう…。現実をよりよくしていけるのかな?
何度も繰り返し確かめ合って本音で伝えていかないと、「共有」はなかなか担保されなくて、無力感を感じてしまうことがあります。決まったから決めたから予算が付いたからOKってことにはならないんだと。「質」を担保するには、自分ごとになっているメンバーでずっとメンテナンスしていかないといけないこと。
 あまりにも、情報は拡がり、範囲も広がり、言葉は空中に消えていく、そんなことを感じてしまったり。「情報化」「広域化」で私たちすでにお互いに感情が共有ができる範囲を大きく超えているんじゃなかろうか、一人一人はもっと小さく狭い範囲の「共有」を丁寧につくってそこを基盤にしながら、同時に外に開いてもいかないといけないんじゃないのか…、そんな感覚を今は持っています。

                    

                        

 簡単じゃないのかな、でも、簡単なのかな、どうだろう。

 

 

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