■できるとかできないとか
「できる」は「できない」があるから、「できる」
「できない」は「できる」があるから「できない」
分かる、とか分からないも同じ。
そんな感じじゃないかな、って思う。
だから、子どもたちが
「うー、分からない~…」
なんてぶつぶつ言っていると
「おー、いいねー」
とか私は言ってしまう。
「それだけ、分かることができてきたからだよ~。だから『分からない』に気が付けるってこと。だってずっと前は、そんなふうに『分からない~』なんて言わなかったじゃん。」
「ふーん、そう?」
「そう。」
そんな感じ。
できる、できない、わかる、わからないも、どれも自分の中にあることで相対的なもの。
それが自分の中で腑に落ちれば、どうでもよくなるんじゃないかな、って思う。
できないこともできることがあれば(それに気が付けば)受け入れられるし他者の力も遠慮なく借りられる。できることで自分がだれかの役に立てばいいから。
教師も子どもたちも
「まあ、できることもあるし、できないこともあるじゃん。それ、誰でも同じ。だからみんなで何とかしよー!」
そんな感じでやっていればいいんじゃない?って思っています。
そんな中で、サボる人はいないから。
無理なく、がんばり続けたり
「がんばるぜ!」って決めたときには、全力でそれこそ頑張ったり。
「あー、疲れたー」って時は、ちょっと休んでもいい。
頑張りの度合だって自分で決められるといいって思ってる。
できることもできないこともあるけど、ダメダメなところはあるんだけど、それでも自分は他者に認めてもらっている、そんな感覚だけあれば、人は前に進めるんだと思うなー。
(だいたい、私は子どもたちに世話になりっぱなしで、しょっちゅう忘れ物を届けてもらったりしてます…。『ほらー、これ置いてったでしょー』とかって…。でもそのくらいの方が、私は教室でバランスが取りやすい笑)
正しさと正しさはぶつかるが、優しさと優しさはぶつからないノダ。
正しさって?優しさって?って問いは生まれるけどねー。