牡鹿半島の生牡蠣を味わいながら、ふと思い出したことは、新任時代のこと。
今では石巻市になるんですが、私はそれってしっくりこなくて。
私の中では、「牡鹿町」。町村合併で今では「石巻市」になっていますが、「牡鹿町」のほうが自分にはしっくりくるのです。
海辺の小さな学校に、なんの経験もなく新任教員として赴任したのでした。
東京都で小中高を過ごした私でしたが、漠然と
(地方で教員ををやってみたいんだよな…)
(学校の中にばかりいないで、子どもたちと外に出かけていろんなものを見たり触ったり、人と関わったりして学べたらいいな…)
そんなことを思って、赴任した先が牡鹿半島だった、というわけです。
当時、赴任した学校は全校で85人。今の勤務校は14人なので、そこから考えると随分「大きい学校」ですが、当時はやはり「小さい学校」でした。
漁村部にあり、地域の主産業は漁業、養殖業。牡蠣やホタテ、ほやの養殖。ウニ、アワビ漁。そして学区にはイカ釣りをやっている地域もありました。私にとってはそれが珍しくて、その様子を見せてもらったりしたなあ。
イカ釣り船に乗せてもらって、一晩操業の様子を見せてもらったこともありました。甲板に次々に上がってくる大量のイカ、イカ、イカ…。
きゅうー、きゅうー、きゅうーーーーー
ってイカが鳴くんですよ。それを片っ端から拾って、集めて…。体中がイカがはく墨だらけになったりして。(船酔いしながら、でなかなかHardだった…)
「磯辺学習」ていうのがあって、学校の裏の磯に降りて、半日磯遊びをする行事もありました。イソギンチャクやカニ、ヤドカリを見つけてわいわいしたり、高学年なんかは、潜ってウニを採ったりしていたなあ、多分漁協さんも
「まあ、学校だべ?」
って感じでスルーしてくれていたのかもしれません。
すぐ近くに、大きな砂浜もあって、砂遊びをしに子どもたちとお散歩しながら遊びに(べんきょうしに)行ったことも何度もありました。
楽しかったなー。
へき地校、と呼ばれる学校だったからか?その学校には若い先生が配属されることが多く、学区内に教員住宅があってそこに一緒にすんでいまして。だから?か住宅にいる
と先輩の先生のところに保護者さんから電話がかかってきて
「めし、食いにございん!」
なんて声を掛けてもらって、一緒に出かけたりもしたなあ。新鮮な海のものの美味しさやお酒を飲みながら、保護者のかたとあれこれ、あーだこーだおしゃべりするのも楽しかった。若い教員ばかりだったこともあってか、地域の方々はとてもかわいがってくれ、少々へまをやらかしても
「まあ、あんただべ?しょーがねーなー」
とか言って、大目にみてくれたことも一度や二度ではない…。
ご縁をいただいて、再び、新任地に勤務することになっています。子どもの人数も随分減りました。学校も震災を経て、統合し少なくなっています。
それでも、こうして、地元の海の幸をいただくと、当時のいろんなことで地域の方々にお世話になったことを思い出します。
本当にありがたいことだ、と思います。
今、毎日通っている地域ですが、自分にとってはやっぱりスタートの地だったんだな、と当たり前のこととをあらためて感じたのでありました。
ふりだしに戻る、そんな感じ。多くの方々に、本当に感謝。
おいしい生牡蠣を味わいながら、一杯飲む、そんな仕事納めの夜でした。