「へき地小規模校で(も)よかったよね!」
って、大きくなってからも思える、そんな学校生活を子どもたちと一緒に創っていきたいな。
さて、そのためには、やっぱりそれなりの結果がないといけないわけで。
「ああ、自分はすごく成長できたなあ!大変なことだってもちろんあったけれど、十分チャレンジできたし、これからもやれるって思えるようになったな。」
「頑張れる自分にも気が付けたし、自分にはまだまだ可能性があることも分かったし。」
「一緒に学んだ友達や地域の方々とも、いい関係ができて、助けたり助けられたりしたなあ。やっぱり一人で生きてるんじゃないってことが分かったなー。」
「だから、私も隣の誰かの役に立てるように行動したいし、そのためにもしっかり学ばないと!(^^)」
「私が住んでいるこの地域。人は温かいし、自然は豊かだし、何より思い出がいっぱいできた。まあ、不便なことだってもちろんあるんだけど、それはどこに住んでも同じこと。だから大きくなってもここで過ごしたことを大切にしたいな。」
こんなふうに感じてもらえたら、私は嬉しい。
こんなふうに子ども自身が感じられるような、環境やプロセスをこっそり整える、もしくは子どもたちと一緒になって創る、そんなことができたらいい。
小規模校だったり、学級の子どもが少なかったりすると、ともすると「余計な手出し」「お節介」をしてしまいがち。
「先生は何もしてくれない」と言われたり思われたりするのは、教師にとって不安材料だから。だから少なくとも、「何かをする」ことで安心を得ようとすることもある。
だから「敢えて何もしない(ようにする、見える)」のは覚悟がいると言えばいる…。
何もしません、結果も出ません、子どもたちも成長実感を得られません…ではそれは・・・ですよね。
だから、「テストの点数」という分かりやすいところに特化しやすくなってしまう、というのもあるでしょう。それはテストの点数なんてどうでもいい、というではないですけど。
子どもたちの「自立」と「他者との共生」の根幹。それがどんなものなのか、見えるようで見えないものだけど、
「自立とは?」「共生とは?」
って常に問い続けて行く中で、子どもたちと毎日を創っていくしかないなあ、と今は思います。
結局は、へき地小規模校であろうと、そうでなかろうと同じことなんだな、とは思います。
とは言え。
「へき地小規模だったから仕方ない」
じゃなくて、
「へき地小規模だったからこそ」
な毎日を創るプロジェクトを、彼ら彼女らと創る、そんなの楽しいしワクワクするよなーって思う。
大風呂敷みたいだけど、それをみんなですれば面白いじゃないか?って思うなー。