私は、子どもたちに
「身近な素敵なおとなとたくさん、繰り返し出会ってほしいなー」
「そこから学んで欲しいなー」
「国語や算数や社会とか、教科だってそことの関連の中で一緒に考えて行きたいんだよねー」
なんてことを考えています。
だから、そんなチャンスがいつ来てもいいように、肩の力を抜きながら、ぼんやり周りを見ている、何か面白そうなことや、変わったことや、新しい発見がないかな~みたいにしている感じ。
まあ、ぼんやりしているんです。
今日は、似たようなことが好きな方と、一緒にお話をしながら
「ああ、そういうことか!」
って思ったことがありました。
私は、子どもたちに
「すてきな大人と出会って欲しいなー」
って思ってるんですけど、それは、子どもたちが身近な方々を新しく知ったり、新しい見方を得たり、更新したり。そんな中で、いわゆる「学校的な価値」に縛られずにもいて欲しい、それだけじゃない価値にも触れてほしい、そんな思いもあったりします。
(まあ、その「学校的価値」ってのもいろいろだから、何ですけどね)
でね、話ながら、
(ああ…)
って思ったのは、
「それって、同時に、大人のほうもあらためて自分の価値に気が付く、そんなことにもなるんだよね。」
ってこと。
当たり前のように自分がしている仕事や役割を、子どもたちが来て、一緒に学ぶってことはあらためてその営みに価値を見出すことなんだな…ってこと。
「子どもたちに興味をもってもらうことで、なんかうれしい、って感じ、あるんじゃない?」
って言われて、
「あ、そうかもー」
って思ったんですよね。子どもも元気になるけど、大人も元気になる。
人と人とが関わり、学び合うって、双方がちょっと元気になる。
「地域を元気にする」とか「活性化する」なんて大きなことはできなくても、
一緒に学び合う、子どもたちと大人が一緒にそうする、そんなことを小さく小さく続けていく、それが実は漢方薬のように「地域」に効いてくるんじゃないかな、なんて思った訳です。あらためて。
だから、まずは目の前の子どもたちが元気に学び合うこと、そして保護者地域の方々と一緒に学び合う場を緩やかにつくり継続していくこと、そんなことにとっても「面白さ」を感じてしまうんですよね。
場と関係性が多様になればなるほど、引き出される、見つけてもらえる、自分で気付く「自らの価値」がたくさん表にでてくるような気がするなー。
「自分の価値に気が付く、気が付ける」
それって元気の源でもあるもんね。