■遊びと余白と身体感覚。「急がば回れ」「気長に待つ」
数値的に計量できない部分。
つまり度量衡によって比較できないこと、っていっていいのかな。格付しない、されない部分。
それ固有なもの、こと。
「モモ」のオンライン読書会。
昨日は、ここの一節からスタート。
「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細って、なくなってしまうのです。」
「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。」
はその直前の記述。
時間は生活。生活は人間の心の中にある。
心とは何か?
人間的な感覚、生物としての感覚そしてそのバランスとしての思考…。
自分自身。
自分はどう感じるか、考えるのか、そしてどう行動するのかしないのか。
立場、役割、数値的な様々なこと、自分を縛るいろんなことはあるけれど、それはあったとしても。
必要に応じて受け入れつつも、
「じゃあ、どうしようか」
のレベルでは、自分の生の感覚、決定を大事にしたいな、と思う。
今すぐ、今ここ、じゃなくてもいいから、
「仕方が無いんだ」
「しょうがないんだ」
って言わすに、最後まで自分自身を殺さない。
分離させない。
素の自分でいる、自由でいるってけっこう難しいことだけど、縛っているのは実は自分自身なんだな…って気付くことは必要だな。
時間どろぼう(灰色の男たち)は自分の中にいるってことだから。
だったら、自分でなんとかできるはずなんだ。
最後の判断を他者に預けない、何かのせいにしないってことかな。
「遊び」「余白」「身体感覚」そして「急がば回れ」「気長に待つ」
その言葉の意味する厚みが自分の中で増した時間だった。