思いを共有して、一緒にやる。
そんなことができると、関係性は一歩前進すると感じています。
それは「同じことをする」とはまた違って。
その「思いを共有する」っていうの時間がかかるものです。
そうできるまでの関わりが一定以上たまっていかないと、そこまでいかないから。
そこまでの時間をかけること自体を楽しむ、って構えも大切なんじゃないかなーって思います。
時間を掛けてじっくり、っていうのが土台になるから。子どもたちだって、一緒に笑ったり遊んだり喧嘩したりあせったり驚いたりしながら、だんだん関係性の裾野が広がってくるもの。
そうした時間と経験がたまっていると、ちょっとやそっとじゃ崩れない。
そして、それは大人同士だって同じこと。
時間を掛けないで、手っ取り早く「協力」「協同」の体を整えようとすると、どうしても「同じことをおなじようにやりましょう」みたいな形になっていく気がするなー。
それで本来の目的に近づけたり、そのこと自体が楽しかったり、お互いの関係性が深まったりすることってあんまりない気がする。「同じである」ことが目的にすり替わってしまったりしてね。
時間をかけていいんだよね、時間そのものが人生なんだから。
うまくいかなかったり、迷ったり、もめたりすること自体がいい時間になるし、そうなるようにすれば、そこに意味があるしね。
ま、いいから、いいから、って感じかなー。