■「肩の力を抜いて、飄々とやることにする。」
それはつまりは、「あそび」感覚をいつも持っていよう、ということかな、と思っています。
○どうなるか分からないもの、こと。(でも危険すぎないやつ)
○うれしい、楽しい、おもしろいと思ったもの、こと
○やるもやらないも、やめるも自分で決められるもの、こと
そんなことを大事にしてきたいな、と思います。
「やらなければいけないこともあるでしょ?」
確かにあるかも知れませんが、そういう時は、納得できるように一緒に考える、相談する、ということをやっていきたいです。
何かの枠組みに意図せずはめ込まれてしまうのが、私は好きではありません。
「いいから、やれ」
に反発して、面倒なことになってしまったのは子どものころからけっこうあったりします…笑。
そういうときは、今から思えば自分の側にも、他者の状況や思いを想像する配慮がありませんでした。だから結果的にぶつかります。そして結局思い通りになんてなりません。
外でもあり、内でもある、そんな縁側的な立ち位置に自分を常に置いておきたいな、と思っています。外にも行けるし内にも入れる。状況次第、どうするのか決めるのは自分。残念な結果になります。
そして、相手にも当然自分で決める権利があることをちゃんと受け止めて。自分もいいし相手もいい、そんな丁度いいあたりを「折り合い」をつけながら探っていくことを大事にしていきたいです。
「あそび」感覚をもつことは、自分の気持ちに余白や余裕をもつことでもありますね。。
「一緒に考えましょう。」
「これ、一緒に○○してもらえますか?」
と持ちかけられるように、自分は自分でやれることをちゃんとやっていかないとな、と思っています。
うまく行かなかったら、謝ることも含めて。
そして、これは、子どもたちにも同じこと、だと思っています。
「モモ」が目標…。(あ、いっちゃった…)