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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■登ってみないと見えないものがあるのかも

 昨日は、ちょっときっかけがあって(そのきっかけ、っていうのも、私から見たら妙に暗示的なんだけど。いわゆる「神ってる?」ってやつ)、石神社に行ってみることに。

genbu.net

 

 この神社、雄勝法印神楽との関係もあったりで、名前はおなじみだったのですが、実はまだ参拝したことがありませんでした。山中に入っていかないといけないことや、そういう機会もなかったので。

 

 今回やってきました、参拝する機会。

 

 意気揚々と出発したのですが、3分後には

「道…どこ??」

って感じに。

「これが道なのかな?」

と思いつつ、沢伝いに枝や落ち葉を美文踏み踏みかき分け、倒木を越えて歩きます。

 

 むっちゃ不安…笑。

 

 で、とーーーきどき「参道」って札が出てきて

(ほっ…ここでよかったんだ…)

と安堵する行程。

 

 途中から、時々木に結ばれているピンクの帯がどうやら道順を示しているらしいことに気づき、それを探し探し歩く感じ。

 

 倒木をくぐったり、朽ちかけた橋?を渡ったりして

(着くのかな、引き返したほうがいいいのか??)

なんて思いながら。

 

 途中から、山の斜面が急になり、運動不足気味の私はほんと

「きっつ…」

という感じ。くるしい…笑。汗だく…。

 

 それでも、時々出てくる看板っぽいもの(これも倒れていたりするんだけど…)

を見付けては

(こっちでいいのか)

と思い直す、そんな道のり、急勾配。

 

 もうくるしーー。

 

 やっと、着いた。石神社。

 

 なんでこんな所に、どーーーーーーんってこの巨石1つあるのか、ほんとうに不思議。運んできたわけでもなかろうに。

 

 こういう大きな自然物に「神」を見出すのが、やっぱり日本なのかな、アニミズムってこういうことか…なんて思ったり。

 

 

 そこから下山するのですが、

「また、あの道なき道みたいなところをいくのかー」

なんて思ったのですが、なんと不思議。下ると、「道」が明らかに見える。

 

 不思議。

 

「ここ、通りましたっけ?」

なんて一緒に登った方に尋ねたりしたんですが、

「うーーん?こんな道、通ったけ?」

って感じ。そのまま、道に迷うどころか不安になることも無く、一気に麓までいけたのでした。

 

 あれだけ、登るときには

「こっち?あっち?道はどれ??」

なんて思って登ったのに。下りるときは、すーーーっと。

 

 (神様、そういうことだったんですね…)

と、思いながら歩きましたとさ。

 

 

 「見えない力」ってあるんじゃないか?って思ったのでした。