通信票の「生活の様子」。
あの「評価」はなかなか、やっかい、というか、そもそも「思いやり」とか「公正・公平」とか、そういう自身の内面のことを他者が「よくできた」とか「もうすこし」なんて正しく?評価できるとも思えない。
もっとも、仮に私が自分のことを評価しようとしても「よくできた」とか「もう少し」とか、やっぱり自信をもってはできない。
「自分ではけっこうがんばったつもりだけどな~、でも、どうかな~」
というときに、他者が
「うんうん、よくがんばっていたよ!だってさ…」
なんて言ってくれたとしたら嬉しい。
そんなこともあって、だいたいここ数年は、そういう通信票の「生活の様子」は、評価項目を知らせながら、子ども本人が自分で自分を振り返りながら3段階評価をしてもらっている。
そういう自己評価したものを元に、友達同士見合ってコメントをもらったり私とあれこれやりとりしたりしていると、だいたい子どもも私も
「うん、だいたいこんな感じかな?」
ってところに落ち着く。
私が一人で評価するより、絶対いいよね、と思っている。
自分で自分のことを評価できたり、一緒に過ごす仲間からのフィードバックがあったほうが、やっぱりいいはずだから。