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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「地域に開かれた学校」に向けての大雑把な…。

■「地域に開かれた学校」に向けての大雑把な…。 

 

https://edu-communityschool.peatix.com/view?fbclid=IwAR2UhAZjAYJIqcfVC9FaOBFt4RcGgrRjsiCG9LBfjsUuRMOlgTGsQ4zi0dg

 

 このテーマは、私の関心事の一つ。

 そもそも、私は教室の外、学校の外に子どもたちを連れ出して学ぶのが好きだった。
 校内にいても、図書館や校庭、体育館…で授業(というか学習)をしたりすることもちょこちょこあって、同僚の先生からは、
「おいおい、学校中を教室にするなよー」
「教室は、ランドセル置き場か?笑」
なんてからかわれることもあった気がします。

 たぶん、決まった場所にずっといるのが、つまらなくなってしますのかな…、と。
 いやいや、というよりも、実際の人、もの、本を使ってみたほうがいい、って考えてのこと。

 それはさておき。
 
 「地域に開かれた学校」に向けて、いわゆるコミュニティスクールに向けての動きなんかも各地で活発になり、いろんな仕組みやシステムが提示されたりもしています。それはそれでいいとは思うんですが、
(そうなればなるほど、縛られたりしないのかな…)
(ルールややり方に絡め取られたり?)
(「役割」としてはっきりすると、担当者、としての肩書きで動くってことになるんだろうな…)
なんて思って、私なんかは
(かえって面倒くさそう…)
なんて感じてしまうんです。

 地域の方々とあれこれ話していると、だいたいいつも言われるのは
「学校は敷居が高くなったよね、昔に比べて。」
「昔のせんせいだづ(先生たち)は、あっつこっつ、ではっていたもんだ。(あっちこっち出て歩いたもんだ)」
ということ。
 

 (コミュニティスクールを進めるには、校内に、とってもヒマな人を2~3人、ただ、解き放っておくといいんじゃないかな?)

 なんてことをぼんやり思っています。そうすると、きっとその人たちは、地域をブラブラし始めて、学校と地域の間を行ったり来たりすると思うんですよね…。乱暴かな?
 一番いいのは、先生たちをもっとヒマにすること。そうすれば、「地域に開かれた学校」の他にも、今の課題の大方は改善すると思うんだけどな。