「人が持つ多様さを認め、だれもが平等に活躍できる社会の実現を目指す~」
(説明文「パラリンピックが目指すもの」東京書籍)
「どうしたら、そういう社会になるんだろうね?」
ってことを子どもたちと一緒に考えたのです。
そんな中で
「いろいろ教えてもらって学ぶといい」
って言葉も。
「え?それってどういうこと?」
ときくと
「だって、手話とか点字とか、分からないじゃないですか。だから、そういうのを教えてもらうと、僕たちも『ああ、そうなのか!』って分かるし、今度は僕たちも何か教えられるし。」
「そうなると、お互いがうれしい気持ちになるんじゃない?」
と。
(そうか…教えてもらう、か。相手から学ぶってことか…)
(「人が持つ多様さを認め、だれもが平等に活躍できる社会はどうしたら実現できるか?」の"こたえ"の一つは「お互いに学び合う」かあ…)
なんて思ったのでした。
ブラインドサッカーや車椅子バスケットの選手のすごさに驚き、先日は社会福祉協議会の方々のご協力で点字学習や白杖体験をしていたこともあったのかもしれません。
「自分も困ることやできないことがたくさんあるし。そういうことがあると、その人の気持ちも分かるようになっていくんじゃない?」
と。
へえ。
「障がいがあってかわいそう」
という、ある面「ふつう」の最初の見方から、ちょっと立体的な見方考え方になってきたのかな。
私の、見方考え方も、この間彼らのおかげで、また広くなってきた気がします。おかげさま。