「理想」の子ども(人間)像を「先生」は子どもに押しつけないようにしたい。
そういうと「それじゃ、放任だ」と言われそうだけど。そういうのではなくて。
例えば、もうすぐ運動会の時期になりますが。
「ぐだぐだしない!」
「めりはりをつけて!」
「最後まであきらめない。」
「全力でやる。」
うん、それはある面「正しい」。悪くないし、善意からくるものでもあるでしょう。でも、それを
「ぐだぐださせない」
「めりはりをつけさせる」
「最後までがんばらせる」
「全力でやらせる」
となるとおかしくなる…。
心の中で思って居るだけでもそれが表情や態度に出てしまう。
子どもたちが、(例えば)運動会を本当に楽しんでいれば、表情は豊かになるし、きと全力で楽しむし、最後までがんばります。
だから、そうできるような環境を整えるようにするだけです。彼らが思う存分、
「がんばるぞー」
「全力でやりたい!」
「楽しい!」
って思える、それがだんだん促進されていく準備(練習)プロセスを子どもたちと一緒につくることで。
決して
「ぐだぐだしない!」
「めりはりをつけなさい!」
って注意することではなくて。
自分の身に置き換えかえてみれば分かります。
(どうしてぐだぐだになっちゃっているのかな?ん?)
って見ればいいんだけです。
「どうしたの?」
って感じで。
そして、全力で楽しむには、「自由」であること。がんばりたい、楽しむ方向に対して「自由」に取り組めること。勝手気まま、という意味での「自由」ではなくて。お互いのがんばりを認め合える自由。(場合によっては、頑張れなかったことさえも受け入れ、認める自由)。そういう中で、自分で自分の意思を確かめ行動を決定できるようになる、そしてそれがとっても大切なこと、と私は思っています。
させなくても子どもは(人は)必ず成長するもんだと思っています。だから、そのための環境(ときには敢えて壁を提示することだって、その一環)を整え、一緒に面白がって、応援していきたい。
誰かの期待通り、指示通りに振る舞う子どもでなくて、自分や自分たちにとって「こうしたい」「こうありたい」って思う方向に力強く意思決定できる子どもたちを応援したい。
「脱いい子」。大人も子どもも。
私たち大人だって、ぐだぐだするし、頑張れないときもあるし、ネガティブ発言だってしてしまうし。
でも日々成長はしたい、って思ってますもん。