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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「脱いい子」

 「理想」の子ども(人間)像を「先生」は子どもに押しつけないようにしたい。

 

 そういうと「それじゃ、放任だ」と言われそうだけど。そういうのではなくて。

 例えば、もうすぐ運動会の時期になりますが。

 

「ぐだぐだしない!」

「めりはりをつけて!」

「最後まであきらめない。」

「全力でやる。」

 

 うん、それはある面「正しい」。悪くないし、善意からくるものでもあるでしょう。でも、それを

「ぐだぐださせない」

「めりはりをつけさせる」

「最後までがんばらせる」

「全力でやらせる」

となるとおかしくなる…。

 

 心の中で思って居るだけでもそれが表情や態度に出てしまう。

 

 子どもたちが、(例えば)運動会を本当に楽しんでいれば、表情は豊かになるし、きと全力で楽しむし、最後までがんばります。

 だから、そうできるような環境を整えるようにするだけです。彼らが思う存分、

「がんばるぞー」

「全力でやりたい!」

「楽しい!」

って思える、それがだんだん促進されていく準備(練習)プロセスを子どもたちと一緒につくることで。

 決して

「ぐだぐだしない!」

「めりはりをつけなさい!」

って注意することではなくて。

 

 自分の身に置き換えかえてみれば分かります。

 

(どうしてぐだぐだになっちゃっているのかな?ん?)

って見ればいいんだけです。

「どうしたの?」

って感じで。

 

 そして、全力で楽しむには、「自由」であること。がんばりたい、楽しむ方向に対して「自由」に取り組めること。勝手気まま、という意味での「自由」ではなくて。お互いのがんばりを認め合える自由。(場合によっては、頑張れなかったことさえも受け入れ、認める自由)。そういう中で、自分で自分の意思を確かめ行動を決定できるようになる、そしてそれがとっても大切なこと、と私は思っています。

 

 させなくても子どもは(人は)必ず成長するもんだと思っています。だから、そのための環境(ときには敢えて壁を提示することだって、その一環)を整え、一緒に面白がって、応援していきたい。

 誰かの期待通り、指示通りに振る舞う子どもでなくて、自分や自分たちにとって「こうしたい」「こうありたい」って思う方向に力強く意思決定できる子どもたちを応援したい。

 「脱いい子」。大人も子どもも。

 

 

 私たち大人だって、ぐだぐだするし、頑張れないときもあるし、ネガティブ発言だってしてしまうし。

 

 でも日々成長はしたい、って思ってますもん。