「通信票」作成の時期。
「評価、とは見ること、見続けること」
という先輩の言葉をずっと大切にしているけれど。でもいざ、こうして「通信票」を書かないといけないとなると、
(はたして、ちゃんと見ていただろうか、見られていただろうか)
という思いにもなります。
幸いにして、私が書く通信票は全部、文章で伝えることができる形式。各教科も、総合所見も文章で書くことはできるけれど、それでもこの長い期間のこと、何をどう選択して短く表現するかは、悩みます。
今こうして、半期にわたったメモを見返しながら考えてみると、
(どんなことでも、強みじゃないか…)
って気が付きます。分かりやすい、やる気満々の姿でも、「やりたくない!」「いやだ」というその姿も。私の見方や、アプローチを変えて、彼や彼女の推進力を後押しできたら、なんでも「強み」に転換できるじゃん、と。
後から気が付くことも多い、残念ながら。
子どもたちの邪魔をしたことも、あったな、と。
「通信票」で全部は伝えきれないから、実際のところの私の子どもたちへの「つうしんひょう」(ひょうか)は、クラスのドキュメンテーション・エピソード集でもある、ほぼ日刊学級だより、になっておりますね。