例えば、学校と地域の協働を考えた時に。
「持続可能なつながりをつくっていくために」を考えると、学校と○○の組織的なつながりを構築すること、と考えるかどうか。つまり、それは「個人につながりに頼ることなく」って意味も含まれているってことだと思います。
もちろん、つながりを作ってくれている人が、いつまでもいるわけではないから…というのも分かるし、組織と組織の関わりが大事になることも、その通りだと思います。
その上で、なんですが。
私は、それも、個人と個人のつながりが十分あっての、それ、だと思っています。個人と個人のつながりが、多様に網の目のようにあって、それが常に進化発展変化していく。成長していく。人が入れ替わったとしても、そのつながりがまた新しいメンバーの中で、再生産されるような、そんなサイクルをみんなで回して行く、面白がって。その集合体・結果としての「組織と組織のつながり」イメージ。
ああ、やっぱりそこに「対話」があるってことだなあ。そして、それは他者(立場の違う、異質な)への、好意的な関心がベースにあることなんだな、と思った次第でした。
それが教員としての「主体的・対話的で深い学び」ってことじゃないのかな、とも。