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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「いいから、いいから」

■「いいから、いいから」

 

 今日は、学習の中で、子どもたちと一緒に作業。

 

 作業もだんだん慣れてくると、もう自分たちだけで、てきぱき作業を進めていきます。素晴らしい。

 細かな指示を与えすぎないでいると、彼らの中でいい塩梅で効率よく作業ができるように工夫するようになってきます。自然と役割分担をしたり、隙間時間の中で別作業を行ったりする子も出てきたり。

 

 いやあ、かしこいなあ、と思います。

 

 ただ、「お互いに楽しく」活動することは、作業効率以上に大切にしたいこと。

 

 もちろん、作業の仕方を工夫し、効率的にてきぱきと「結果」を出していくこと自体は素晴らしいことでもあるけれど、過度にそればかりを「賞賛」しないようしています。自分は、そこを大事にしたいのです。

 

 子どもたちの意識が効率性重視に偏ってくると、他者に向けての言葉がキツくなるタイミングがどこかで出てきます。

「ちょっと、そうじゃないってば。」

「そこ、違うよ~」

「速くやってー」

とか。

 そんなふうに声のトーン、調子が高くなってくる瞬間が。


 そんな時は、
「ま、いいから、いいから。のんびり楽しくやりましょう(^_^)」

「うまくいかなかったら、もう一回やり直せばいいよ~」
と間髪いれず、全体に声を掛けるのは大人の役割。

 

 子どもたちは、よくも悪くも大人の意識のありようで、言動の選択をするものですから。
大人が、のんびり構えれば、子どもまたゆったり安心して作業ができるのです。
 

 

 あ、似たようなケースで、例えば体育やその他の場面で,子どもたちの集合を促す場面。ときどきありがちなのは、

「赤が速いか、白が速いか?」

「速い方に( )点!」

とか。(ああ、運動会練習とかで、あったりするかな…)

 

 これって、そのペースに乗れない子が排除(の原因となってしまう)されてしまう場面を「先生が」作ってしまうことになってしまうのでは、と思っています。競争させられることで、結果「足を引っ張って」しまう子が出てくるからです。口には出さなくても、「負けた」チームの中の「速い子」や「ぎりぎり速い子」の心中に

(あーあ…)

(あの子のせいで…)

が生まれますもんね。

 

 それがつもりつもると…です。

 

 効率的に素早く行う価値もあるし、のんびりマイペースで行う価値も、両方あります。大切なのは、その場にいる人(子ども)たちが、心地よくそこに居られる、参加できること。そういう空間や場を、みんなでいい感じで創り合うことだと、私は思っています。

 

 過度に速さ、効率性を求めない、そんな立ち位置。

 

 でも、なぜか、「そここそ大事」ってなってしまう文化って学校、根強くないかな?とも感じます。

 そこを逆向きに引っ張る、そんな私の居方。

 

 

 数値で表せないところにこそ、意味を見出したい、そんな気持ちがあるので。