(結局当事者でしか、物事は解決できないってことだよな)
って思ったこと。
なにを、当たり前のことを…とは思うけど。
そう、当たり前のことなんだけど、以外とそれが脇に置かれてしまう場合ってあるんじゃないかな、と思ったので一周回ってココって感覚です。
何かうまくな状況になった、これはなんとかしないといけないよな、ってことになる。周りもそれに気が付いて、
「なんとかしないと!」
って思う。だから、親切に手伝ったりアドバイスしたり、いろいろなことをする。ありがたいことです。
とはいえ、当事者はどうしたいのか?どうなるといいのか?それでももってどうするのか?ってところは当事者が決めて、本気でなんとかしないといけないわけで。そこがない(というか、立ち上がってこない)周囲がやきもきしても、やっぱり始まらないんだよな、と思いました。
当たり前、なんだけど。
子どもの学習なんかかもそうなんだけど、
「なんとかするのは結局きみなんだけどねー。」
「困ったら誰かに相談するんだよ。それでもなんとかならないときは、教えてね。」
程度のかかわりで、いいと思っています。
直接的な手を掛けない分、どんなふうにやっているのかな~?ということは見続けるようにはします。時々
「どう?うまくいってる?」
って声も掛けるようにはします。
「どうしたいの?」「どうなるといいの?」
って問うことは、大人の課題解決でもやっぱり同じで、当事者を真ん中において、必要に応じて後押しするしかないんだよね、と感じました、あらためて。
子どもたちには
「ほら~、助けてもらったんだから、違うときには君が助けるんだぞーあはは」
と、へらへら言っています。